私の同僚・仲間である北野昌平先生が御亡くなりになられました.彼は、大阪市立小児保健センターから、さらに統合後の大阪市立総合医療センターの小児脳神経外科で、長年、活躍されておられました.


大阪の貝塚で生まれ育った北野先生は、学生時代は柔道の名選手だったようです.しかし、大きな体型には似合わず患者の子供たちには優しい先生でした.彼が珍しく怒ることがありました.それは、彼の専門の一つであった虐待児の親に強い怒りを表すことがあったらしいです.20年以上の付き合いである私でも、普段、彼が怒ったところは一度も見たことはありませんでした.


朝早くから、夜遅くまで病院で仕事をしていることが常で、調子が悪くなったお子さんが、病院に連絡するといつも北野先生がいて、適切な対応していたため、とても信頼の厚い先生でした.


てんかんの外科、先天性頭蓋縫合早期癒合症、二分脊椎、水頭症など、益々、小児脳神経外科の分野で活躍することが、期待されていた北野先生ですが、50歳の若さで病魔に襲われたのは、私たち以上に、彼自身が最も残念でならなかったように思います.


長い間、お疲れさまでした.安らかに御休みください.



北野昌平先生のホームページ


北野先生のホームページが、大阪市立総合医療センターの小児脳神経外科で継続して維持・管理されることになりました.彼のこの分野への熱意が込められたホームページがずっと残ることは、同僚として嬉しいことです.


北野昌平先生の追悼エッセイ


2006.12.23記、2007.2.15、2007.3.24 追記


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北野昌平 先生