「春風の中のgentleman」
迫 正廣 前大阪市立総合医療センター 小児内科 (現マリア保育園)
北野先生とは大阪市立総合医療センターの前身である大阪市立小児保健センターの時から同じ職場で過ごしてきたから、知り合ってから20年以上の付き合いである。小児の血液腫瘍の診療に当たっていた私は、脳腫瘍や血液疾患の脳外科に関連性のある合併症など共同で治療に当たったりして助けてもらうことがずいぶん多かった。彼はどんな人に対しても言葉遣いが丁寧で威張ることもなく、いつもにこにこして怒ることがなかった。
外来が同じ金曜日で隣同士の診察室であったので、子どもをマイクで呼ぶ彼の声がいつも聞こえていた。その声が「○○さん」と「○○」に比べ「さん」が短くすこし尻上がりの言い方でなんともいえないくらいおおらかさと愛情で包み込む感じの声なのである。彼の人格がそのまま声となっていた。私は隣の診察室でそれを聞くだけで春風の中にいるようないい気持ちがした。
ただ、一緒に働いてきたものの彼の生育歴は知らないでいた。しかし彼の人格に触れるたび、きっといい家庭に生まれ、大事に愛情深く育てられてきたのだろうと羨望の思いで想像していたものである。彼が病院で文学書や宗教書に親しんでいたという様子を私は知らない。学生時代に活躍したという柔道や弓道による精神の鍛錬も関係するかもしれないが、それよりもおそらく彼の人格は幸福な者にあたえられた天賦のものだったのではないだろうか。
体重は90キロぐらいあっただろうか、恵まれた体格の彼が医者として体力的にも精神的にも最も油の乗り切った50歳という年齢でガンに倒れるとは全くイメージできないことであった。
彼のそばにいて、彼を見てきた誰一人として彼の優しさや、病気の子どもたちに注いだ真の情熱を知らないものはいない。人間誰でも持っているような意地の悪い言葉や思いを発する脳細胞自体が彼の脳にはなかったか、あるいは消え失せていたのではなかろうかと思われるぐらいである。
果たして、神仏は自分と同じような御心を持ち、自分の代わりに手足となって病んだ子どもたちに尽くす者をわざわざ選び、がんを与えるであろうか。その彼がガンに倒れたことの残念さを思うとき、ガンになるということと、生前の行いや人間性がどうだったということとは全く関係ないことであるという明確な証明を見る思いがする。
医学的な観点から見れば病気を知らない頑強な身体を持ち、患者思いの診療に熱心なあまり、自分の体の不調を省みず早期発見のチャンスを逃したということになるだろうか。そのような医者を私は何人も知っている。
患者に評判のいい病院はこのような熱心な医者の献身的努力でやっと成り立っているのである。欧米の三〜四分の一という限られた数の医療スタッフで目いっぱいやらねばならないのが現状であり、そういう患者思いの優れた人を病気や心の病で失いやすい日本の医療は、皮肉といってもいい。しかしそのような現実に対して彼の不満を聞いたことはない。彼は黙々と笑顔を絶やさず働いていた。帰るのもいつも夜遅かったし、休日もよく見かけていたから、受け持っている子どもたちのことが一番の中心だったのであろう。
ただし毎年、家族そろっての記念撮影をした写真付きの年賀状をもらっていたので、仕事に傾ける真摯な後ろ姿を見せることが家族に対しての彼の無言の愛であったのであろう。仕事が彼の人格そのものであった。
私に言わせれば彼は私の生涯で出会った人の中で一番のジェントルマンであった。ジェントルマンといえばイギリスのシルクハットをかぶったタキシード姿の男性を思い浮かべるが、私の思うジェントルマンは英語のgentleにmanをつけた直訳のそれである。辞書にはgentleの訳語として「優しい、温和な、穏やかな、生まれ育ちのよい、上品な」という日本語が当てられている。彼はこの訳語のすべてを体現していた。完璧な「gentleman」であった。
そういう人が小児脳外科医の専門医としてのすばらしい技量と実力を身につけて家族のことよりも患児を優先して診療に当たってきていたのである。医療の世界にとどまらず、この人間関係の閉塞的な今の日本にとってなんという損失であろうか。
伝え聞いた最期の言葉は「無念です」というものだったらしい。最後まで礼節を失わない彼らしい丁寧な言い方であることに胸が詰まる思いがする。近くで接してきたものとしては悲痛というよりほかはない。人のために三倍も働いた人は三倍生きるのだという。多くの人々の心の中に生きている彼のイメージを積分すれば、その言葉は文学的には当たっているのかもしれない。
彼が生まれ育った貝塚(大阪府)は江戸時代には環濠を有する歴史ある町である。お別れの日、私は春風のような人格を生み育てた風景を確かめてみたくて、彼が少年の日に遊んだであろう路地やお寺の境内を歩き回り、少年の日を思い浮かべ彼を偲んだ。人気の少ない町で寒々とした風に吹かれながら、そのうち私も無常の風に同化して往くであろうことをごく自然な気持ちで思った。
これからまたいくつか季節が巡り、暖かく穏やかな春風が吹くであろう。その風に包まれる時、彼を感じ、あのにこやかな表情の彼の顔を思い出すに違いない。ほんとうに彼、北野昌平先生は春風のような人だった。
日本医事新報 2007年3月17日号から
迫 正廣先生は、小児内科、特に血液内科の専門家で、子供の患者さんには優しいので有名です. 迫 先生が、 日本医事新報 という医師向けの雑誌に北野先生の追悼エッセイを書かれました.御了解を得て、転載させていただきました.
2007.3.24記