診療日記  1981年

 

カンボジア・ベトナム難民が、タイ国境に押し寄せた1980年の頃、お金は出すが、人は出さないと、諸外国から非難された日本政府は、日本政府派遣の医療チームを作り、交代で医療に当たりました.その頃、今で言うNGO活動が芽生え始めた頃で、1980年バンコックで発足した小さなJapan Volunteer Center (JVC)は、今では、日本を代表するNGOに成長して活動をいるようです(Japan International Volunteer Center: JVC).


1981年の9月号の機関誌 Trial & Errorに私が以下の文章を寄稿していたようで、最近、コピーを頂き読んでみました.医者駆け出し(3年目)の頃の文章で、文中のCさんは、当時は分かりませんでしたが、カンボジア人で初めて診断された、もやもや病の患者さんだと思います.読影能力が足りず、頸動脈閉塞と診断しましたが、もやもや血管があった様に記憶しています.当時の私はこの所見がもやもや病かどうか分かりませんでした. 移動式の通常のレントゲン装置を用いて、直接、左の頚部総頚動脈をエラスター針で刺して、ウログラフィンという造影剤を使って、脳血管撮影を一枚撮り行なったのを覚えています.      



難民キャンプ


2008.5.8記


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