妊娠に合併する脳血管障害
妊娠に合併する脳血管障害
1. はじめに
妊娠自身が脳血管障害のリスクファクターであることは、古くから知られています [1,2].妊娠による凝固系の亢進、母体の血行動態hemodynamicsの変化、血管壁の変化、ホルモンの変化などが原因で脳血管障害が増えるとされています.しかし、これらの報告の対象は、選択バイアスselection biasが大きく、計算された罹患率を疑問視する意見もあります [3].感染性の脳血管障害の多い開発途上国と異なり、先進国での妊娠中の脳血管障害のリスクは、最近の研究では、非妊娠時と大きな違いがなく産褥期のみに高いとされています [4].実際に、脳血管障害をおこした妊産婦を診たときに問題になるのは、治療の緊急度、治療方法、胎児の胎外生活の可能性、出産時期、娩出方法(帝王切開、経膣分娩)、麻酔方法(全身麻酔、硬膜外麻酔、脊髄麻酔)、産褥管理、神経放射線学的診断法や投薬による妊産婦と胎児への影響などで、解決されていない問題も多いように思われます.近年、生殖医療の進歩とともにさまざまな不妊治療や避妊方法が行われるようになっています.これらと脳血管障害との関連についても不明の点が多いです.ここでは、妊娠に合併する脳血管障害について概説し、日本に特異的に多い脳血管障害の“もやもや病”についても別項で述べます [5].
2. 神経放射線学的診断のリスク
2方向の胸部X線単純撮影は0.02-0.07 mrad、一回の腹部X線単純撮影は 100 mrad、頭部CT検査は、1 rad以下の胎児被爆があります [6].腹部をシールドして施行する頭部CT検査は約2 mradの胎児被爆があるとされ、脳血管撮影も腹部シールドすれば、約2 mrad程度の被爆であり、腹部大動脈の中をカテーテルが通過する時の透視での被爆が加わるだけで、慣れた術者が施行すればさほどの被爆はないとされます[7].X線の5 rad以下の胎児被爆は、奇形、成長障害、流産のリスクを上げないとされています[8].X線による多くの診断方法は、5 radを越えることはなく、通常の妊娠における先天性奇形(30/1000出産)、子宮内胎児発達遅延(40/1000出産)、高度精神発達遅延(5/1000出産)や自然流産(150/1000妊娠)のリスクを上げません[8].妊産婦に脳血管撮影が必要な場合は、子宮に対してシールドを適切に行えば、胎児の被爆は最小限にすることができます.また、ヨード性造影剤は胎児への影響は、ほとんどないとされますが、非イオン性で低浸透圧のものを使用します.MRIによる胎児に対する副作用報告はありませんが、妊娠第1期には避けた方がよいとされています [6].
3. 出血性脳血管障害
妊娠中の頭蓋内出血に対する脳神経外科的手術の適応は、非妊娠時の女性に対するそれと原則的に同様です.分娩、麻酔方法は、原則的に頭蓋内出血のない妊産婦に対する産科的適応と同様です[9,10].陣痛や分娩時に頭蓋内出血を起こすことは、ほとんどないとされています.頭蓋内出血との鑑別疾患に、下垂体卒中、静脈洞血栓症、脳血管閉塞、子癇、脳腫瘍、脳膿瘍、髄膜炎、脳炎、脱髄疾患、ヒステリーなどがあります.頭蓋内出血を疑えば、すぐにCT検査を行い、出血があればCTによる血管撮影やカテーテルの脳血管撮影が適応となります.CTが正常であっても、くも膜下出血を疑うときは、腰椎穿刺による髄液検査 spinal tapを行います.抗痙攣薬の催奇形性はよく知られていますが[11]、痙攣をおこしたときの母体と胎児の低酸素とacidosisの危険性を考えると、痙攣の可能性のある妊産婦には必ず投与すべきです.抗痙攣薬は、非妊娠時と薬理学的動態が異なるため、頻回に血中濃度をモニターする必要があります.血中濃度が低いときは、コンプライアンスが悪く正しく服用されていない可能性も考慮すべきです.どの抗痙攣薬も催奇形性はありますが、投与が必要なときは、過去にデータのあるアレビアチン phenytoin, フェノバール phenobarbital, テグレトール carbamazepineをできれば単剤で、血中濃度をモニターしながら投与します.抗痙攣薬の副作用として、催奇形性以外に子宮内発達遅延、新生児出血傾向やfloppy infant syndromeがあります.開頭手術が必要なときは、子宮による下大静脈を圧迫する体位を避けて行います.マニトール mannitolは、胎盤を通過し胎児に移行し脱水を引き起こす可能性があり投与はできるだけ避けます.意図的な低血圧も胎児に危険と考えられるので可能な限り避けます.
3-1. 脳動脈瘤の破裂は、妊娠第3期に多いとされ、再出血すると生命予後が非常に悪いため、母体の治療を優先し早期に検査・治療を行います.治療は開頭手術による動脈瘤のclippingが行われたり、血管内手術でコイルによる動脈瘤内塞栓術が行われます.後者の場合、胎児被爆を最小にすべく十分な腹部のシールド下で行います.手術後、妊娠を継続するか、帝王切開による急遂分娩を脳外科手術と同時にするかは、胎児の成熟度を考え、帝王切開による娩出のメリットとデメリットの比較で決定されます.帝王切開は、分娩予定日が近い出血症例や母体が瀕死の場合で胎児を救う目的でも行われます.未破裂の脳動脈瘤が脳ドックなどで判明した非妊婦は、妊娠前の治療が奨められます.
3-2. 脳動静脈奇形の出血は、脳動脈瘤の破裂よりも若年の妊産婦に起こるとされ、出血時期は、妊娠第2期に多いとする報告や出血率が特に高い時期はないとする報告があります [12].診断は、MRや造影CTで十分な症例もあり、手術治療を選択しない時には脳血管撮影は施行しない場合もあります.脳動静脈奇形の治療は、個々の症例ごとに脳神経外科的適応で、手術または保存的治療を選択します.出血が大きく脳圧亢進による脳ヘルニアがあれば、直ちに開頭術による血腫除去の適応になりますが、それ以外の多くの場合は緊急手術の適応はありません.手術をする場合、脳動脈瘤と同じで手術後、妊娠を継続するか、帝王切開を脳外科手術と同時にするかは、胎児の成熟度を考え決定されます.脳動静脈奇形の治療には、手術以外に血管内手術(塞栓術)や定位的放射線治療、これらを組み合わせた集学的治療が行われています.塞栓術施行時には、胎児被爆を最小にすべく十分な腹部のシールドを行います.また定位的放射線治療は、治療効果がでるのに1-2年はかかり、X線やガンマ線の胎児への影響が予測できないので出産後でないと施行できません.未破裂の脳動静脈奇形が判明している場合、可能であれば妊娠前にその治療が奨められます.妊娠は未破裂の脳動静脈奇形の初回出血率を上げないため[12]、挙児希望者に対して出血を避ける目的での避妊を奨めるべきではありません.しかし、過去に出血の既往のある脳動静脈奇形患者は妊娠によって出血のリスクは上がります [12].
3-3. 脳実質内出血は、高血圧、特に、妊娠中毒症、子癇や脳動静脈奇形が原因の場合が多いですが、血液学的凝固異常、もやもや病、脳静脈・脳静脈洞血栓症、転移性絨毛癌、海綿状血管腫、脳血管炎、抗凝固療法、他の基礎疾患による場合もあります.出血部位は、基底核が多いですが、脳室内出血や皮質下出血も認められます.妊娠に関係のない脳内出血の場合と同じ適応で、手術または保存的治療が選択されます.
4. 虚血性脳血管障害
妊娠時は、非妊娠時に比較して13倍の脳虚血の危険性があるとする報告 [2]がある一方で、リスクは上がらないとする報告もあります [13].一般に脳動脈閉塞は、妊娠第2-3期と産褥1週間に多く、脳静脈閉塞は産褥1-4週間に多いとされますが [2]、虚血性脳血管障害は、妊娠中にはリスクは上がらず、産褥期にのみ上がるとする最近の報告もあります [4].診断は可能な限り低侵襲のCT, MR, 経頭蓋ドップラー法などで行います.治療は、基本的に病因に基づいた内科的な治療が行われます.生殖医学の進歩とともに、不妊治療が積極的に行われるようになっており、排卵誘発治療の合併症としてovarian hyperstimulation syndrome (OHSS)があり、稀に重篤な脳血栓塞栓症を起こすことがあります [14]. ワルファリン warfarinには催奇形性、小頭症、精神発達障害、新生児出血などの問題があり、また胎盤を通過するため、心塞栓症などで抗凝固療法が必要な場合は、胎盤を通過しないヘパリン heparinが使用されます.未分化ヘパリン と異なり、低分子ヘパリンは骨粗鬆症の合併が少なく皮下注することができ、投与が容易なので有用です(本邦では適応外です).抗血小板薬として使われる低用量アスピリン aspirinの催奇形性は否定的であり、母体の出血傾向や動脈管収縮も問題は無いとされています.経口避妊薬は、脳血管障害のリスクファクターであり、この傾向は喫煙により増強されます [15].
脳動脈閉塞は、頚動脈解離、椎骨動脈解離、抗リン脂質抗体症候群、心塞栓症(感染性心内膜炎、リウマチ熱、心房細動、産褥性心筋症、卵円孔開存)、血管炎(SLE、脈なし病)、転移性絨毛癌などでおこります.脳血管炎も妊娠に際しておこることがあり、特に産褥期に多いです.脳静脈血栓症は、妊娠中と産褥期に認められますが、最も多いのは産褥2週間以内です.激しい頭痛、嘔吐、痙攣、脱力、意識障害などが主症状で、一側性にも両側性にもおこります.まず、この疾患を疑うことが重要であり、診断にはMRAが最も適しています.子癇、水中毒、下垂体卒中、産褥頭痛との鑑別診断が必要です.血液疾患(鎌状赤血球症、血栓性血小板減少性紫斑症)も妊娠に関連して脳梗塞を合併することがあります.羊水塞栓、空気塞栓、脂肪塞栓による脳血管障害は、妊娠に関して起こる稀な疾患です.
5. もやもや病
もやもや病は、女性の方が男性より罹患率が高く、妊娠合併症例も稀ではありません.若年者では脳虚血で、成人では脳出血で発症することが多いです.脳虚血症状として一過性脳虚血発作や脳梗塞の他に不随意運動やけいれんもあります.もやもや病の合併妊娠は、若年発症の女性もやもや病患者が、そのまま成長し妊娠可能な年齢に達し妊娠した場合(既知もやもや病患者)と妊娠中や産褥期に初めてもやもや病を発症した場合(初発もやもや病患者)があり、両者とも、もやもや病ですが、その臨床経過や病態は異なります [5].
もやもや病に合併する多く頭蓋内出血は、脳室内出血と基底核部出血です.既知もやもや病患者はこのような脳血管障害の危険性を知って妊娠すべきです.しかし、実際は既知もやもや病患者さんの妊娠で(過去31症例の報告があり、出血発症10例、虚血発症17例)、予後が不良であったのは脳室内出血をおこした1例のみであり脳虚血によるものはなく、初発もやもや病患者さんの妊娠で(過去25症例の報告があり、出血発症18例、虚血発症5例)、母子ともに予後の不良の症例はやはり脳出血のためでした.脳出血や脳虚血を予防する目的で、頭蓋内外のバイパス術を奨める報告もありますが、実際に問題となる脳出血に対する予防効果は確立していないため、その手術適応は慎重であるべきです.
既知もやもや病患者さんで、実際に分娩時に脳出血や脳虚血を起こした症例はなく、分娩方法として帝王切開に固執する必要はありません.全身麻酔、硬膜外麻酔、脊髄麻酔のいずれの麻酔法をとるにしろ過換気、低血圧、高血圧を避け、脳血流と血圧を維持に努めます.もやもや病患者さんの場合、避妊法として経口避妊薬は避けるべきです [16]. やむを得ず使用する場合は、低用量経口避妊薬を使用し禁煙を奨めます.不妊症治療では排卵誘発剤をはじめとして種々のホルモン剤を使用することが多いため、もやもや病の症状を悪化させる可能性はありますが詳細は不明です.排卵誘発治療の合併症である上述のOHSSは、稀に脳血栓塞栓症を合併する場合があり、もやもや病患者さんにこれが起これば重篤になります.
6. まとめ
妊娠は脳血管障害のリスクファクターであるとされてきましたが [1,2]、近年の報告では、妊娠中にはリスクは必ずしも上がるとは言えないとされでいます [12,13].妊娠中の脳血管障害の治療に対する脳神経外科的手術の適応は、非妊娠時の女性に対するそれと原則的に同様です.分娩方法や麻酔方法に、より安全な単一の方法はなく、原則的に胎児の成熟度を考慮し、産科学的適応で決定されます.治療方針は、個々の症例ごとに検討されるべきであり、産科、新生児科、麻酔科、脳神経外科などの協力体制やそれぞれの施設での母体、胎児、新生児の管理能力を考え、選択的帝王切開も念頭に置いて慣れた方法で行うのがよいと考えられます.
文献
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2006.10.23記、2011.12.27追記